伊勢崎銘仙について

5.伊勢崎銘仙の由来

伊勢崎太織が、「銘仙」の名で呼ばれるようになったのは定かではありませんが、明治20年頃であるといわれます。銘仙とは、絹を素材にして造られた平織物の総称として用いられ、特に伊勢崎はもとより足利、秩父、八王子など関東地方の製品に対して使用されていました。
 銘仙の起源は、天明年間(1781〜1788)に、経糸の数が多い、筬目(おさめ)が千もありそうな緻密な織物を「目専」、「目千」と呼び、これが転訛されて「めいせん」となった説があります。
また、明治20年(1887)頃、伊勢崎太織の販売店が、東京日本橋南伝馬町に開かれたときに、赤地に白抜きで「めいせんや」の文字を染め抜いた旗をたてて販売したのが、後に「銘仙」の文字を使用するもとになったという説もあります。

6.技術革新と工程の分業化

江戸末期に染色を専門にする紺屋、糸屋が現れ、機業工程から分離しましたが、明治中期には、機巻き・糊付け・撚糸などの工程が分業になりました。織機も明治20年以後は、いざり機から高機に移行されました。


いざり機

高機

7.第1次黄金時代

 明治末期には、力織機も導入され、一部は工場化されましたが、生産の大半は農家の賃機によるものでした。伊勢崎銘仙の種類も、括り絣、板締絣による珍絣銘仙をはじめ、併用絣・緯総絣銘仙などの工芸織物が加わり、伊勢崎銘仙の名は全国に広まり、大正初期まで第1次黄金時代を迎えました。


織物工場の一部(明治43年)

求評会風景(大正初期)

8.第2次黄金時代

 昭和の初期になると平織銘仙万能から立体感のある新規織物の需要が高まり、加工方法を工夫したり人絹糸を導入したりして千代田お召が開発され、第2次黄金時代を迎えました。


ポスターのモデルをした水谷八重子さんを囲んで(昭和初期)

昭和10年織物展示会風景

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